2回目の執筆となりました。前回に引き続き自己紹介をさせて頂きます。
何故IT会社に勤務したのか?は、特に大きな意味はありませんでした。
大きな夢を描き、やるべき仕事の目標があった訳でもなく、現在、頑張っていらっしゃる皆さんにはとても申し訳ない感じの新入社員でした、ただただ現実を受け入れて社会に出て働かなければと考えていた時に、たまたま父親の「つて」で一社目の会社(TSS北海道)に入社しましたが、それがIT会社であり、札幌の会社だったと言う事です。但し、まじめにしっかりと働いてはいましたので誤解のない様にお願いします。
元々、電子工学を学んでおりましたので、どちらかと言うとハードウェアの世界でしたが、パソコンは持っていましたので、マシン語、アセンブリ言語、ベーシック言語等のソフトウェアも多少理解しておりました。余談ですが当時のパソコンのスペックは今の携帯電話よりも低レベルでしたが当時のハイスペックモデルは国産品(N社)で1セット100万円ちかい価格でした。私が持っていたのは十数万程度でしたので更に低レベルでした。(Windowsが発売される前のモデルです、8ビットのCPUでメモリは16キロバイトでした、システム上、最大でも32キロバイトしかコントロールが出来なかったので、倍の64キロバイトまで使える様にする為の仕組みを大学で研究していました・・・)、さて一社目では請求書印刷等の運用業務に就き、夜勤も対応しておりましたが半年ほど経った頃に突然、営業部に異動になりました。その時の営業部の課長が現在の北海道総合技術研究所(HIT技研)の創業者である萱場でした。営業兼システムSE?としてユーザー先を回っておりましたが、半年ほど過ぎた頃、萱場が独立する為に会社を辞められました。私はその後も2年間程、ユーザー対応(営業)をしておりましたが、一身上の都合により退職して東京に戻る準備をしておりました。その様な折にタイミング良く萱場から誘われて1986年にHIT技研に入社しました。そこからの3年間は前回お伝えさせていただいた通り東京で勤務して、その後、再び札幌に戻って来て現在に至っています。
この様に、最初は本当に申し訳ない感じの新入社員だったと思っていますが、これまで社会人として色々な事を経験させていただいて行く内にシステム開発が好きになり、お客様の喜びを共有出来る事に嬉しさを感じる様になっておりました、更には会社の経営をする事もいつの間にか楽しくなっております。これからはHIT技研で培って来たスキルを最大限に生かしつつ、テクノウイングの社長としてグループ会社全体の繁栄に向けて尽力いたします。