コロナ禍によるテレワークの普及で自社業務のみならず発注いただく案件においてもテレワークが多くなりました。そのせいか、日頃から情報交換させていただいている各社様からいただく技術者募集の要件にコミュニケーション能力の高さという条件が更に多くなってきた感があります。
昔の技術者像といえば、黙々とディスプレイを見てひたすらキーボードを叩き続け、相手の目を見て会話が出来なかろうがそれはそれ、技術的に長けていれば需要があったものですが、時代が変わり技術力だけではアサインできる案件が限られてきているというのが実情です。
技術者に限らず一般企業の人材採用時に最も重視する要素として、 15年以上も「コミュニケーション能力」が第1位になっているようですが、なぜ長期にわたり求められる能力がかわらないのでしょうか?もしかすると、コミュニケーション能力が問われ始めた15年前と現在ではコミュニケーションの定義が変わってきているのかもしれません。
コミュニケーション能力の高い人と聞いてどんな人を思い浮かべるでしょうか。コミュニケーションと一言で言っても捉え方は様々ですが、その多くはいかに自分の意思を伝えられるかというところに主眼が置かれてるように思います。果たして、伝えるのが上手ということだけでよいのでしょうか?
とある文献では、コミュニケーションをキャッチボールとドッチボールに例えて説明していて、キャッチボールもドッチボールも開始準備、相手との同意、適切な距離感を取る、投げる→受けるという一連の流れで成立するものです。しかしその違いは互いに受け取りやすいボールを投げるかどうかというところにあるそうです。無意識のうちに勝ち負けの構造に入ったり攻撃的になったりすると、いつの間にかキャッチボールがドッジボールになってしまうということになります。
自分自身でもなんだか心当たりがある気がします。
つまりコミュニケーションは一方向で成立するものではなく伝え、聞き、受け入れ、共有することが重要でその全てが成立しないとコミュニケーションとは言えず、相手のことを考えて行なえければコミュニケーション能力が高いということにはならないようです。
そう考えると時代が変わって技術が進化しても、コミュニケーションの重要性は変わらない、むしろ益々重要になっていくということでしょう。