監査役 古川正志
友人から,旭川へ戻った際にフェンシングを立ち上げたグループがあるので,少しみてくれないかとの話がありました.練習日は隔週で土曜日のようでしたが,なかなか旭川へ戻るタイミングと練習日の日取りが合わず,ようやく,先週に様子を伺いにいきました.旭川の市内から車で35分ほどで着く,田園に囲まれた小さな小学校の体育館で練習が行われていました.まだ3〜6歳くらいのちびっことコーチとなる女性,それにクラブ員が3人で練習が行われていました.
ちびっこはとても元気で,まだフォームを固めることができてはいないのですが,そこらじゅうを走り回っていて微笑ましいものがあります.一応,準備運動,フットワークの練習をして,突きの練習をしてと,アットホームな雰囲気で練習が進んでいきます.
私が頼まれたのは車椅子フェンシングを始めているのでその面倒もみてくれないかというものでした.これまで車椅子フェンシングは見たことがなかったのですが,膝に負担がないかもしれないという考えが頭にちらっとよぎったので,これも見に行くきっかけになりました.
始めて拝見した車椅子フェンシングを少し説明します.床に二つの四角いフレームを固定し,このフレームをある距離で結合します.次に二つのフレームそれぞれに車椅子を固定し,そこに選手が座ります.従って,フェンシングで行われるような前後の動きはできませんが,代わりに体を前後に傾けて距離を測り,剣を交わすようです.技術的には剣の扱いとボディワークとでもいうべき動きが必要になるようです.
話は前後しますが,ちびっこがユニフォームを身につけ,電気剣を持ち,電気審判機を使用してファイティング(擬似的な試合)をすぐに始めたのにびっくりしました.私たちの時代には電気審判機は高額でなかなか手に入らなかったせいもありますし,電気剣も高価で練習には使用しないのが普通でしたから.ファイティングはエペで行われました.エペというフェンシングの種目は体のどこをついてもよく,しかも先に攻撃をしないとポイントにならないという複雑なルールがありません.従って,相手を相手より先に突けば電気が着き,勝負の結果が可視化されてしまうからです.なかなか考えたなと思いました.ちびっこたちは飽きがくるのも早いので,まず,面白さを優先したと言えます.
道具も進化していてマスクが軽くプラステックスに変わっていました.以前は金網と川だったのですから隔世の感があります.サーベルが電気化されているのは聞いていましたが,上半身がすっぽり収まるメタルジャケットを見たのも,初めてでした.
というわけで剣の音に昔の血がウズウズしてきました.実はフェンシングの北大の後輩が退職後にフェンシングを札幌ではじめていて,一緒にやろうよと声をかけられていました.しかし,練習場所が以前の職場と遠いことと,膝が持つかという不安もあって遠さかっていました.
その夜に,友人とビールを飲んだのですが,メンバーの一人にフェンシングの友人がいて,この日のことを話しました.彼は旭川市の元図書館長ですが,その他に建設会社の社長さんもフェンシングができます.それじゃ,この新しいクラブに加入して旭川スリー・マスケッティヤーズ*の再現(平均67歳)といきますか,との話になりましたが,実現はわかりません.
再現できたかどうかは,半年後くらいに報告します.
(*:マスケットとはフランスで開発された鉄砲で,小説3銃士の銃士隊は剣とマスケット銃を持っていたのでこう呼ばれます)