前回に引き続き,わが社の技術顧問をお願いしている北海道情報大学の古川教授からの特別寄稿として,「5年ぶりのケンブリッジ」の第2版が到着しましたので,掲載いたします。
5年ぶりのケンブリッジ(2)
技術顧問 古川正志
実は,イギリスは私にとって馴染みの深い国です.すでに述べたように,1981〜1982年,当時私は31歳でしたが,客員教授としてイーストアングリア大学で働いていました.イーストアングリア大学は,ロンドンから北西に130kmほどの都市ノリッジにあり,そこから西南西に100kmくらいにケンブリッジがありました.ノリッジといえば映画エリザベスの敵役を演じたノリッジ公の名前を思い出す人もいるかもしれません.当時,ケンブリッジは世界の3次元CAD開発の拠点であり,新規のCADシステムがつぎ次と誕生していました.私も3次元CADの開発に従事していましたので,時々,ケンブリッジへ出かけ,ついでにパブでお昼にビールをなめていました.私の友人はイーストアングリア大学の私が属したプロジェクトの研究員だったのです.
往時と比べて,ノリッジもケンブリッジも街並みはほとんど変化していません.住宅街は10軒ほど(2軒が対の左右対称で)が連なったレンガ作りの長屋が通りに沿ってあり.アーチ型をした玄関には1868年というように建築された年代が刻んであります.居間の窓はアーチ型に外に突き出しています.映画で出てくるボストンの街並みがそっくりです.この長屋風のイギリスの家は京都のように奥が深いのです.玄関を入ると細長い廊下があります.廊下にはグランドファーザーズクロックが置かれます.玄関のすぐ右(または左,左右対称に2軒を作るので)に居間があり,その向こうが食堂,ついでパントリー,そして台所があります.台所は居間の幅の半分ほどで,残りの半分から,逆L時型に庭があります.庭には周囲にハーブや林檎の木などが植えられ,そして中央は芝となっています.廊下の途中に階段があり,ちょうど階段の踊り場の奥にバスルームがあります.2階は,マスタールームともう一部屋があります.おそるべきこの長屋はさらに3階があり,子供部屋にあてがわれます.ノリッジ時代に私は2階に下宿していました.どの部屋にも暖炉があり,一般に,暖炉から連なる煙突は屋根から6〜8本ほど出ています.ピーターパンがロンドンの空を飛ぶときに描かれる風景です.現在では暖炉は使用されていません.
私が働いていた頃は,サッチャーが首相であった時代で,髪を染め皮ジャンパとジーパンを着込んだパンクスタイルの青年がよく見られました.今回はあまり見かけませんが.パブはまだイングリッシュビターが全盛の頃です.クリームのような泡を室温で「なめなめ」飲む,これが慣れると非常に美味しいのです.でも,現在は,ラガービールが全盛です.イギリス人も冷えたビールに味をしめたのです.ギネスのようなエールやウィスキーをパブで飲まれている人はあまり見かけません.
さて,ケンブリッジに2泊したのち,友人があらかじめ企画してくれたバースに出かけることになりました.バースは,紀元2世紀くらいにローマ人が侵略した町です.ローマはスコットランドとイングランドの境界まで侵攻しています.ハンガリーのブタペストと同じように地下深くから温泉がでるため,ローマ人が銭湯を作りました.阿部寛のテルマエという映画がありましたが,そっくりの浴場です.bathという英語はここが由来だと言われています.余談ですが,bathは普段バスと発音しますが,なぜかここはバースといいます.同じように英語の不思議な発音では,mallはモールと発音するのにバッキンガム宮殿に続く並木はマルと発音しています.
バースへはケンブリッジから1時間ほど列車に乗り,キングスクロス駅から地下鉄でコンベントリー駅まで行き,そこから西に向かうバース駅への列車と乗り換えます.高速道路のM4号線とほとんど並走しています.ロンドンから真西に向かうと想像するとわかりやすいかもしれません.列車を利用したのは久しぶりでしたので,その変容には驚きました.昔は,改札もなく,列車が入ると自分でドアをあけ,乗り込みました.降りるときは窓を開け,外側のノブを下げるのです.今は,ほとんど日本と同じです.なんとホームに入るには自動改札機があったのです.行き先の電光掲示板も設置されているのです.キングスクロス駅には,中2階にファーストフードのお店ができていて,その中の1軒はお寿司を販売していました.お寿司のみならずお弁当も.私の友人夫妻はお弁当という日本語を英語でお弁当と言っていました.まさに,日本のコンビニのお弁当です.
バースは,1994年に車で観光したことがあったのですが,覚えていたのは浴場とクレセント(18世紀に作られた三日月型をした巨大な貴族の集合住宅)だけでした.バースについては次の機会にします.