最近、日ハムが勝った時のみ新聞を真面目に読むことが多くなりました。考えてみればテレビで放映されず,新聞の記事で初めて判る記事といったら、高校野球の地区予選みたいな全くローカルなものとか、何かの特集記事しかありません。あとは前日のニュースでさんざん放映されているものがほとんどです。
それにしても結果が判ってるのにナゼ大谷が163Kのプロ新記録を出した記事を朝から楽しみに観てるのでしょう。多分、人間の心理とはいつも自分を安心領域というか幸福感とかに追い込んでいたいんでしょうね。そういう中で先が誰にも予想がつかないものはなんでしょうか?自然災害や不慮の事故・・・まあいろいろあげられますが、代表的なものはやはり寿命でしょう。今や100歳まで健康に生きていく時代がくるとしたら,私たちはいわゆる余生の考え方を変えなければなりませんし、悠々自適なんて一体何歳になってから考えていけるのでしょうか。
それにしても団塊の世代が後期高齢者に突入したら、社会保障費が増加して若者の負担が増える、まるで団塊は長生きすることが悪いような風潮で最近はよく言われます。最初は健康でありさえすればいい、という論調でしたが、最近はあまり健康で長生きされても年金負担がふえるのでそれすらも否定される、あの日本の奇跡の復活に貢献した団塊のみなさん、今からこんなことを言われていいのでしょうか。
私ごときがこの命題に意見を言える身分ではありませんが、若干身の程知らずの意見を言うとしたら、我々団塊は年金を貰い始めたとたん身も心も年金機構にささげてしまって、戦いすんで日が暮れた老兵になってしまっているような気がしてなりません。消費税2%、年金生活者には実施を先延ばしてもらったので有難い、といって与党が選挙に勝つのはおかしい、まだまだこれからさらに上げていかないと日本の財政は苦しくなるはずなのに、2%ぐらいで我々の人心を惑わすとはけしからん、ぐらいの発言を団塊はすべきだと私は思います。
私の100歳といえばあと30年超、オギャーと生まれて大学も出てサラリーマンになって結婚して会社では主任になるとかならないとか,居酒屋で出世談義をしていた、あのころまでもう一回生きていくんだから大変ですよね。まあとりあえず今夜は大学受験するために夜行列車で上野駅について、あまりの人ごみで右往左往した汚れのなかったあの頃の自分に帰ってフォークソングでも歌ってみるか。