今年はいつに無く「喪中・年賀欠礼状」が多いような気がします。ちょうど年賀をやりとりしている仲間のみなさんはご両親のご不幸に遭遇する年令に差し掛かったのでしょう。私個人は50代前半で両親を見送りましたのですっかり過去のものになっていましたが、よく考えてみると自分がそんな世代の真っ只中にいるんだなあと思わず考えさせられた次第です。
さてそんなことからふと「老い方」についてふと考えてみました。私は自分の老後については、居直り半分含めて「生涯現役」論者です。でもはたしてどういう老後のありかたが適切なのかは神のみぞ知るところというわけで、そのことについては一概に議論にはならないと思っています。ただし、健康でやる気のあるいわゆる我々団塊の世代の「老い方」については一つ問題意識を持っています。
簡単に言うと、定年が60歳では早すぎるということです。もちろん今政府からは盛んに定年延長の制度をつくり、65歳までは仕事の機会を与えるようにしなさいというガイドが来ています。ガイドを受ける零細企業としてはその人件費の重さに考えこんでしまいます。政治の重要な課題である少子高齢化を、企業に定年延長させるということだけにその解決策をみいだしているような気がします。国民全体、特に若い世代から自分は70歳まで働くんだ、という言わば意識改革をしなければなりませんし、高齢者もまだまだ精神的な若さを持ち続けなければなりません。
我々サラリーマン卒業生達にとって今のところ高齢者で収入を得る道は、ある程度リスクがあっても投資をして事業のオーナーになるか、後進に助言を与えるような比較的リスクのない顧問的立場で仕事をするか、どちらかしかありません。私は無知と勘違いのあまり前者となってしまいましたが、時に年齢を過剰に意識したり、いやいやまだ行けるかもしれないと勇気が湧いてきたり、小心者の心は毎日荒波に左右されています。ドライバーの飛距離なんぞは典型です。たま~に昔の距離がでるとうれしくなります。フォローの風が強い日だったことは誰も指摘してくれませんが、それで勇気が出たんですから良しとしています。
最近すすきのの知ってる店が立て続けに今年いっぱいで閉店となります。それを聞きつけたお客様のシニアー達が来て、まだまだやれるよといって励まして帰っていきます。店のママが今頃になって励まさないでもっと普段に頻繁に来てくれれば良かったのに、と愚痴をこぼします。往年の上客だったシニアーのみなさん、奥様も毎日ご主人が家にいられて困ってるでしょうから、どうですか、もう一回すすきので美味しい酒でも飲んで、昔話や孫や病気の話題ではなく、日本の将来について語ってみませんか?